ちょぼのひびおも

地方在住のちょぼの日々の思う事

デザイナーって何をする人?

デザイナーって「見た目だけ」を作る人みたいな印象を持ってる人がたくさんいます。

 

服も、グラフィックも、アプリも

デザイナーときただけで、

外面

というような印象をもってしまってませんか?

 

なぜそんな印象を持つのか

 

というのもデザイナー教育が美術学校が多いからです。

日本には意匠という概念がありますが、

西洋の絵画や美術教育を取り入れて、一部の有名な画家のみがピックアップされ、その実質の芸術・美術教育がされていません。

 

芸術や美術とは、「術」がつくことで「何度も繰り返して習得される高度な技」という側面があることがわかります。

個人的には芸術や美術は、料理や文学と同じようなレベルの創作活動だと思います。

そういうのは大学の教授などが散々研究してまして個々人で思ってることは違いますのでどれが正しいなんてのはありませんが、そんなに生活にかけ離れたものではないとは一致しているでしょう。

 

偉大な画家たちの本質

昔は自然発生的に何かを書いたり、残したりということがあって、考えを表にだす表現手法として文章や絵があったと思われます。

そのうち、教会から依頼があって、一部の画家に依頼をします。

当時は生活のために絵を描く人だったので、仕事だったのです。

娯楽活動ではありませんでした。

それがボティチェリだったり、レオナルドだったりするわけで、たまたま今残っているものにフォーカスしているのが日本の教育です。

 

天才だったから絵が残っているわけではありません。

多くの画家がいて、教会が発注した絵も膨大であり、その中で残っているものにフォーカスされているということです。

多くの画家は、いろいろなことを考えながら絵を描きます。その中に様々な思想もふくまれます。その主張が絵を通してなされる、、、文学や芸術と全く同じです。

 

日本ではどうだったか。

 

日本も、その当時はポスターや何かを描く人がいた。

その中で庶民にたくさん売られました。

たまたま残っているものが、フォーカスされ、これが天才だとなってるわけです。

フォーカスされ、それを知った海外の人が「北斎はすごい」と思うわけです。

でもそれらは、画家たちの間では当然おこなわれた「他人のオマージュ」だったわけです。

日本はトップがあって、その影響を下のものが得るような縦割りですが、

海外はそういう考えはなく、横のつながりなわけです。

いいものはみんなでやっていこうという感じなわけです。

ですから、海外のいいものをみたら、俺らもやっていこうという単純な発想なわけです。

だれも「北斎がすごいから、私も影響された」などではない。

その辺は日本の学校教育が間違っていると言わざるを得ないところですね。

 

現代のデザイン教育

ちょっと話がとんでますが、

そういったわけで、残っているものの見た目だけを意匠としている側面が日本にはあります。

デザイン教育が美術学校で行われるのも多くの原因、、というか

美術学校ってところで、日本文化とそぐわない感じがしますよね?

 

実際は、江戸時代の高度な工作技術は芸術の域、、、主義主張を織り交ぜれるレベル、、に達しており、技術の緻密さ、高度差を競うために見た目への進出へと乗り出して行ったわけですが、そこだけをとって「意匠は見た目」とするのはおかしいのです。

 

どっちかといえば、大工さんとかの技術者の延長にあるという方が正しいと思います。

そして現代においては売り上げを左右するところに位置している。マーケティングの側面も非常に強くなってきています。

 

 

デザインは見た目だけなのか。

 

デザイン(意匠・設計)というのは、まず使いやすかったり、見やすかったり、着やすかったりが先にないと、デザインにならないのです。

 

だからといって見やすい使いやすいってところが、野暮ったい文字が大きいだけだったり、ありきたりの誰にでも想像できるものを作ることじゃあないんです。

 

それはデザインとしては低レベルです。

誰でもそんなことは言えます。

 

デザインは工業や素材の発現と共に大きく進化していき、

アールヌーボー時代では告知のために文字を使ったポスターなどが出てきます。

それがあることでみんなが周知でき、売り上げが上がったわけです。

これが重要です。「売り上げを上げるために行った」ということです。

産業革命で車が生産されるようになると、デザインの役割も大きく変わり、

それまで技術よりだったものが、ステータスを作るような側面に変わってきました。

フォード社はデザインを採用することで、「売り上げが上がりました」

そして現代は情報技術により、誰もが同一の品物を情報に触れる状況になり、

そのなかで「体験」の違いがクローズアップされてきました。

同じようなパカパカ開く携帯電話から抜きん出たタッチパネル搭載のデザインで「売り上げがあがりました」

どれもブランドのコモディティ化を克服した例です。

 

もし、デザインをして「もっと見やすく」とかいうのであれば、それはアールヌーボー時代のレベルの話をしているわけです。

そんなデザインは見飽きています。そんなデザインは埋もれるだけです。

現代はより体験的に優れている方が目立つのです。

 

目立たないデザインをするのは「デザインしてないのと同じ」です。

 

 

デザインは売り上げと直結しているので、経済活動です。

会社に備品をつけるのと同じレベルの会社業務です。

 

 

それを忘れてはいけません。デザインのない会社は「会社じゃない」といっても過言じゃないです。

 

結論

というわけで、デザインといのは時代とともに変化していて、

頭でっかちや知ったかの人は

デザイナーはバカで見た目だけを作りやがる公害キチ害だ!

というでしょうけど、そういう人には歴史を学んでもらいましょう。

 

デザインは多くのもののバランスをみて、よりよい経済活動をもたらす手法と捉えてよいでしょう。

もちろん、見た目もあるし、値段も、売り方も、体験も、それらを包括するのが

「デザイン」であって、それを仕事にしてる人がデザイナーとなるでしょう。